沖縄一人旅 其の四 慰霊の塔を巡る

      2018/01/25

前回の記事ひめゆりの塔に続いて、他にもたくさんの塔を周ったので聖地巡礼。

ではなく慰霊巡拝と言ったところかな。

沖縄の心霊スポットとしてさせてはならない

そしてひめゆりの塔から向かった魂魄の塔へは車で約20分

魂魄の塔の周辺には。たくさんの慰霊塔がある。

そして法定速度を守り、辿り着いたこちらは魂魄の塔

 

魂魄の塔は、沖縄県で最初に建立された慰霊碑で、ひめゆりの塔や健児の塔のルーツということで沖縄にとって大事な場所。

住民、軍人、米軍韓国朝鮮人、沖縄戦で死んだ約35000人の人々が軍、民、人種問わず葬られてる戦後で最も早い沖縄で最大の塔。

次に讃岐の塔、香川県。

沖縄 南方諸地域 中国大陸で祖国の安泰を願い
家族を案じつつ亡くなられた
三万二千四百十三柱の御霊
とこしえに安かれと祈るとともに
郷土の発展と恒久平和の実現を心から願いつつ
郷土人形「奉公さん」を想い起し 「讃岐の奉公塔」
と命名する

昭和四十三年五月吉日

香川県戦没者沖縄慰霊塔建立委員会

 


次に島根の塔

 

美しく花開くためにはそのかくれた根のたえまない営みがあるように私達の平和で心静かな日々にはこの地に散ったあなた達の深い悲しみと苦しみがそのいしずえになっていることを思いここに深い祈りを捧げます。

 

昭和44年 3月
島根県知事 田部長右衛

 

紀の國之塔、和歌山県

調べたがあまり情報がないな。。

合肥者数 19835柱

沖縄戦戦没者 839柱

南方諸地域戦没者 18995柱

こうやって巡ると、本当に全国から日本の為にかなりの人数が戦場に行ったんだ😭

次に大和の塔、奈良県

先の大戦において南方諸地域にて亡くなられた本県出身者は15,800余名に達します。この尊い犠牲となられた戦没者の御霊をお慰めするため沖縄に慰霊塔を建立することは終戦以来県民をあげての念願であったところ、関係各方面の御協力を得て昭和42年「大和の塔」が完成いたしました。

本県では毎年11月16日に御遺族参列のもと南方諸地域戦没者追悼式を「大和の塔」前において挙行し、戦没者のご冥福をお祈りするとともに平和の誓いを新たにすることとしています。

とのことだ!

次に北海道の塔。

今回の記事はあまり俺からの文章は必要ないな。

曠古の大東亜戦争はその惨烈ここ沖縄の決戦に極まって我北海道出身の将兵1万有余名も玉砕護国の楯とはなった。

本島はもとより伊江島、慶良間等40余島並に広く南方海域諸島に散華した北霊凡そ3万余柱の招魂の霊を悼み全国に先駆けて本碑を創建した。

合肥者数 40850柱

沖縄戦戦没者 10850柱

南方諸地域戦没者 30000柱

大分の塔。

戦後、大分県の遺族代表が沖縄に巡拝した際、「ふるさとの 山河も泣かむこの島に 散りたる若き御霊祭れば」と記した県産檜の白木の柱を建てて、沖縄に散華した県出身 900余柱の慰霊を行ったことが発端となりました。(最終的に1430)

その後、大分県耶馬渓産の霊石を用いて、本格的な慰霊碑となる「大分の塔」を建立した。

広島の塔。

沖縄及び南方諸地域で戦没された広島県出身者34,635柱(平成16年度末現在)が合祀されている。

東京の塔。

今までの塔は魂魄の塔から近いけど、東京の塔だけは離れた所にある。

先の大戦中、南方諸地域において戦没せられた東京都の関係者は実に10万有余柱に及ぶ。

顧みればわれら同胞が戦禍に堪えて刻苦精励すること20有余年、よく平和の恩恵に浴しえたことは、

ひとえに英霊が戦火の悲惨と生命の尊厳を貴い血をもって示されたたまものにほかならない。
よって戦没者遺族をはじめ都民1100余万こぞって慰霊の誠を捧げ平和への誓いをこめ、

ここ沖縄の激戦地米須の丘に謹んで東京の塔を建立する。
昭和46年10月東京都南方地域戦没者慰霊碑建設委員会

そして健児の塔へ!!

ここはひめゆりの塔の女子学徒隊に対して、健児の塔は男子学徒隊による鉄血勤皇隊を祀っている、詳しくはクリック!

鉄血勤皇隊は伝令や通信、切り込み、急造爆雷(箱に火薬を詰めた爆弾)を背負っての特攻を行った。伝令なども、同じ文書を3人に持たし走らせ、そのうち1人だけがたどり着く、そのような任務であった。

ひめゆり学徒隊より過酷だったらしい。

鉄血勤皇隊は13歳〜17歳で法的根拠もなく動員

隊員はほぼ中学生だったらしい。

ここは心霊スポットになってるとの噂が。

でも、もし会えるならお話しをさせて頂きたいくらいだ

ガマ(壕)!!

ガマとは、沖縄県沖縄本島南部に多く見られる自然洞窟のこと。

沖縄本島には約2000の石灰岩で形成された鍾乳洞があり、それらは沖縄方言で「ガマ」と呼ばれる[1]

太平洋戦争の末期に起こった沖縄戦では、住民や日本兵の避難場所として、また野戦病院として利用された[2]。現在、ひめゆりの塔が建っている沖縄陸軍病院第三外科壕跡も、そうしたガマの1つである

そしてこちらは鉄血勤皇隊が自決した場所。

中に入って合掌🙏

当時を想像しながら中に入ってみた。

ここに隠れても恐怖に怯え、潜んでも見つかったら終わりだ、耐え難い。

そして自決を選んだのか。

中には自決ではなく特攻を選んだ隊員もいるらしい。

何とも言えん感情になるわ。

この辺はに火炎放射器の跡も結構ある。

ここには30分程いたかな。

なんとなく心地良さを覚えていた。

ここを後にして先に進む。

すぐに階段があって摩文仁の丘に行ける。

ちょっとした山のような丘だ!

疲れてたけど、ここまで来たからもちろん目の前の階段を上がる。

これが意外にも大変だった。

頂上までの階段を、30分くらい登ったかな。

その途中に第三十二軍司令部壕がある。

沖縄守備軍令部最後の場所で牛島満中将と長勇参謀長が自決した場所。沖縄戦の終焉が近い昭和20年6月23日(22日説あり)未明に司令部壕内で、『・・・最後マデ敢闘シ悠久ノ大義ニ生クベシ』と最後の軍命令を下達して長勇参謀長と共に自決。

それにより日本軍の組織抵抗は終焉を迎えた。

この第三十二軍司令部壕の先を進むともう頂上が近い。

高摩文仁グスク

城跡だが戦争で城壁などは破壊されて、どのような形だったかはわからないみたいだ。

黎明の塔の手前に勇魂の碑。

沖縄の守備を担った第三十二軍司令部の将校、軍属約600名の御霊をお祀りされています。この周辺で自決されたそうで、碑のそばには戦没将兵の名が刻まれた名簿碑がある。

そして頂上へ辿り着いた!!

黎明の塔

インスタ映えしそうだわ。

初投稿してみようかな。

沖縄の守備を担った第三十二軍司令官牛島満中将と長勇参謀長をお祀つりされています。

この黎明の塔は都道府県別慰霊碑よりも早くなおかつ立派で、なによりも平和の礎を見下ろすように建立されていることから、バッシングの標的になることが多いらしい。

司令官の降伏を許さず、最後まで徹底抗戦することを訓示して自決したことにより、降伏できずに、多くの犠牲者を出した事実があるからだそうだ。

これは賛否両論になる事案だな。

俺が言えることでないが。

そしてこの黎明の塔がある、摩文仁の丘から見える景色。

まだまだこのような塔が、沖縄にはあるが今回はこれだけ。

魂魄の塔、健児の塔、摩文仁の丘を合わせて時間を合算すると3時間くらいかな。

沖縄を愛する者にとっては、沖縄を日本を守るために命がけで戦った英霊にお会いしてみては?

機会があれば行ってみて下さい。

すべての戦没者に合掌🙏

ではでは。

続き 沖縄一人旅 其の五

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